[名馬の蹄跡 ライフ・イズ・ビューティフル号(那須トレーニングファーム)中編]
国内外の障害馬術競技会で、「記録」と「記憶」に残る活躍をした「名馬」の歩みを振り返る特別企画『名馬の蹄跡(ていせき)』。第1回は、2018年の全日本障害飛越選手権を制し、日本代表として、2019年のFEIジャンピング・ワールドカップ・ファイナルに出場したライフ・イズ・ビューティフル号(那須トレーニングファーム)。スウェーデンで生まれたブチ毛の馬が、いかにして日本でチャンピオンホースになり、世界最高峰の舞台に立つまでに至ったのか。その道のりを関係者の声を交えながら綴っていく。
チーム・ライフ・イズ・ビューティフル
2016年3月、那須トレーニングファームで開催されたナス・スプリングホースショー(日本馬術連盟公認1*競技会)に出場したライフ・イズ・ビューティフル号は、3年ぶりの公認競技優勝を飾る。さらに、4月のしもつけ乗馬大会(日本馬術連盟公認2*競技会)でも大会メイン競技のしもつけグランプリ(中障害A)を制し、5月のJRAホースショー(日本馬術連盟公認3*競技会)では大障害に初チャレンジ。
以降、7月のフジホースショー・サマーグランプリ(日本馬術連盟公認3*競技会)でフジサマーグランプリSB(大障害B)3位入賞、10月の壬生ジャンピングホースショー(日本馬術連盟公認1*競技会)で壬生乗馬クラブ杯(大障害B)優勝、11月のオールレディース&ダンディーズクラシック(日本馬術連盟公認3*競技会)で大障害SB (大障害B)優勝など、大障害クラスで着実に実績を積み重ねていく。
11月の全日本障害馬術大会 PartⅠでは、前年まで出場していた中障害Aから1つクラスを上げて、大障害Bにエントリー。予選初日のスピード&ハンディネス競技30位、2日目の標準障害飛越競技5位という成績で決勝に駒を進めると、決勝でもジャンプ・オフ(優勝決定戦)に進出。5位入賞をはたし、龍馬はライフ・イズ・ビューティフル号が大障害クラスで戦っていく手応えをつかんだ。
また、ここに至るまでの期間、ライフ・イズ・ビューティフ号をサポートしてくれる「人の輪」も少しずつ広がっていた。2012年に「ブチ毛の馬が大好き」という東北在住の女性から申し出があり、ライフ・イズ・ビューティフル号の保有権を半分ずつ分け合う半自馬オーナーになってくれた。さらにその後、競技活動を経済的な面から支えてくれるスポンサーが現れ、遠方の競技会場まで駆けつけてくれる応援団も結成。全幅の信頼を置ける装蹄師や獣医師との出会いもあり、身体のケアや体調管理の質も大幅に向上した。まさに、「チーム・ライフ・イズ・ビューティフル」と呼べる体制が構築されていったのだ。
多くの人たちのサポートを受けたライフ・イズ・ビューティフル号はさらに成長を続け、2017年10月の国民体育大会(愛顔つなぐえひめ国体)では、龍馬とのコンビで成年男子・国体大障害飛越競技を制覇。大障害クラスで初のビッグタイトルを獲得した。さらに、思乃とのコンビで臨んだ11月の全日本障害馬術大会 PartⅠでは、前年からまた1つクラスを上げて、大障害Aにエントリー。予選初日のスピード&ハンディネス競技14位、2日目の標準障害飛越競技5位で予選を通過し、全日本障害飛越選手権(大障害A決勝)進出をはたした。
「国体大障害を勝って、全日本障害飛越選手権に出られたことは、馬にとっても、人にとっても、大きな自信につながる成果でした。あそこまで到達できたのは、ブチ君と思乃の成長はもちろん、支えてくれるチームの存在が大きかったですね。馬術競技はF1などのモータースポーツに似ているところがあって、馬(マシン)やライダー(ドライバー)だけが良くても勝てない。馬、ライダー、スタッフ、オーナー、スポンサー、装蹄師、獣医師、応援団など、それらすべてがチームとして一丸になって初めて、タイトルを手にすることができる。2017年は『チーム・ライフ・イズ・ビューティフル』が確立された年だったと思います」(龍馬)
そして、2018年。ここからライフ・イズ・ビューティフル号の快進撃が始まる。